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六 (国) : ウィキペディア日本語版
六 (国)[りく]

(りく〔訳注: 読みは吉田賢抗『新釈漢文大系第85巻 史記5(世家5)』明治書院、1977年による〕、ピン音:lù)の時代に淮河流域にあった諸侯国、皋陶の後裔で、春秋時代後期には付庸国となっていて、楚の穆王に滅ぼされた。
郭沫若の「両周金文辞体系考釈」では、西周青銅器の銘文に出現する「錄」及び「錄伯」は、後の春秋時代のであるとしている。西周時代の周王が錄伯に淮夷に対する防衛警備を命令した史実が〔楊伯峻『春秋左伝注·文公五年』、中華書局、1990年5月第2版、538〕、青銅器の銘文に記録されている。
春秋時代に楚が隆盛となり、は楚の付庸国と成り下がった。「春秋 文公5年」(紀元前622年)の記載で、は楚に滅ぼされたとある。「春秋左伝」での補足で、これはが楚に背き東夷と親交を結んだ結果であるとしている。同じ年、楚は現在河南省固始県を滅ぼした。両国の滅亡は、大夫臧文仲に皋陶及び庭堅の後裔は凋落してしまったと嘆かせた〔楊伯峻『春秋左伝注·文公五年』、中華書局、1990年5月第2版、539〕。
注意に値することとして、『史記 14巻 十二諸侯年表』の記載では楚の成王熊惲26年「を滅ぼす」とあり、楚の穆王商臣4年では「、蓼を滅ぼす」とある。後者は上に述べたように『春秋』経伝記載の穆王が、蓼の両国を滅ぼすということであるが、『史記 40巻 楚世家』では楚成王熊惲26年、英を滅ぼすとあるのみで、を滅ぼすとの記載がない。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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